セクハラ報道とシステムの変化
香川照之氏の報道が加熱してます。
香川氏のセクハラについては色んな人が色んな意見を言ってるので特に書く必要無いかな。
ただこの件は、最近起きた園子温監督の性加害、祇園での舞妓の未成年飲酒及びセクハラなどと根っこの部分は同じように感じました。
構図として
①お金や権力を持ってる者が
②彼、彼女らから恩恵を受ける者に対して
③尊厳を蔑めることが許される
「場」
があったという事です。
それは知ってる者にとっては当たり前に存在してたし、恩恵を受けてる者は公にしませんでした。
それが最近白日の下に晒されるようになった。
1番の理由は当然SNSの普及だと思います。
個人が情報を発信する事が出来るようになり、「大金払ってるんだから、何をやっても許される」「大きな役に抜擢してやるんだから何をやっても許される」前提の行為はは世間に拡散され、大きな力を持っていた人ほど、大きな物を失う流れになってきました。
これは良い、悪いの話ではなく(もちろんハラスメントが通用しなくなるのは良い事ですが)そういう変化が起きているという事です。
この変化は例え今までのシステムを維持しようと、更に秘匿性を高めたところで何とかできるものではありません。
頑張って維持した期間が長くなるほど、露見した時に取り返しがつかなくなるだけです。
こういった「場」が、無くなる事によってある種「ガス抜き」できるところが無くなる事を危惧する意見がありました。
でも、それは「どういった形でそれを昇華するか」探さなければならない課題だと思います。
一部の人のストレス発散のために、尊厳を蔑められる人が必要という事はもう通用しないんじゃないかな。
今はわかりやすい「有名人」が晒されて責められてますが、システムが変化してることは理解しておいた方が良いと思います。
システムの変化についてはまた深掘りしていきたいと思います。
今日はここまで
また書きます!